南京感想文 Nanjing scribble

突然始まった南京の暮らしを気の向くままに紹介します。

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『覇王別姫』

  『覇王別姫/Farewell My Concubine/さらば、わが愛』(1993/香港)

 辛い境遇と厳しい修業を共に耐えぬき、やがて人気京劇役者となった蝶衣(レスリー・チャン)と小樓(チャン・フォンイー)。蝶衣にとって小樓は、兄、友、そして愛の対象だったが、小樓は遊女だった菊仙(コン・リー)と結婚する。盧橋溝事件、太平洋戦争、共産党革命、文化大革命と激しく変動する北京を舞台に、3人の人生を描いた作品。それぞれが、愛や誇り、芸を守ろうとするが、時代はそれを許さない。生き延びるために、ぎりぎりのところでお互いを裏切る姿が痛ましい。
 映画は幼い小豆(蝶衣)の6本目の指を母親が切り落とすところから始まる。蝶衣の人生はその後も「痛み」の連続だ。肉体の痛み。心の痛み。実生活でもバイセクシュアルだったと言われているレスリー・チャンが、蝶衣を非常にリアルに演じ、圧倒的な存在感を見せる。
 コン・リー演じる菊仙のひたむきさも印象的だ。執拗な客を振り切って遊郭の高欄から飛び降りる彼女を小樓が受け止める。高価な持ち物すべて、履いていた靴まで捨てて、小樓との生活に飛び込み、ひたすらに彼を時代の荒波から守ろうとする。子どもを流産し、小樓が人生の全てだった菊仙。文革のつるし上げにあった小樓が叫ぶ糾弾の言葉を聞いた時に見せた表情は「絶望」そのものだった。運命を受け入れろというメッセージが作品の中で繰り返されるが、痛々しくもそれと格闘している人間の姿には心を揺さぶられる。
 172分とちょっと長いが、見る価値のある作品である。

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朝食

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   私の朝食を紹介しよう。最近はよく学食で食べている。今朝は豆乳と小籠包。朝から脂たっぷりのジューシーな小籠包を食べると午前中苦しいが、美味しいので見かけるとつい食べてしまう。小籠包がない時(タイミングが合わないと無い)は、「煎餅」というものを食べる。これは中華版クレープのようなもので、薄い皮に卵を合わせて焼き、そこへたれを塗って、ちょっと野菜や昆布をのせ、油条(練って醗酵させた小麦粉を棒状にのばし、油であげた食品)と一緒にくるくるっと巻いたもの。屋台などでは皮をパリパリに焼いたりするが、私はしっとりとしたクレープタイプのほうが好き。
 その他に現在ほぼ毎日食べているのが「豆腐脳」。まだ温かい豆腐に、昆布の入っただし汁をかけ、ピーナッツ、ゴマ、干し海老などをふりかけたもの。これに香菜や砂糖を加えて食べる人もいるが、何も加えなくても十分美味しい。穏やかな味でとても気に入っている。時々食べるのが「紅豆粥」。赤い豆、小豆の他、よくわからない豆が混じっていて、棗が入っているのが特徴。こちらはお粥の種類が豊富だが、私はこの薄甘いタイプを選ぶことが多い。郊外のキャンパスへ行く日は大体、豆乳、肉まん、茶卵の3点セットである。(学生から豆乳と卵は一緒に食べるなと注意されているが…。)
 昨年はトーストにコーヒー、オートミール、ミューズリー、ヨーグルトなどをよく食べていた。果物中心だったり、ブラウニーやマフィン、シリアルバーにこったり、ベーカリーのパンをあれこれ試してみたりと、私の朝食は一定していない。面白いのは、例えばオートミールを食べる時にザーサイを付け合せたりするようになったこと。(例えば中国では機内食に必ずザーサイがついて来る。パンしか入っていないようなランチボックスでもザーサイは欠かさない。)意外と美味しいので、お試しあれ。

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『女が階段を上がる時』 

 『女が階段を上がる時』(1960/成瀬巳喜男)は50年近く前の作品ながら、女性の置かれている状況は今も変わらないなという感想を持った。古い作品なので世相や風俗は現代とは異なるが、女が男の庇護をまったく受けずに生きる難しさがよく描かれている。高峰秀子演じる銀座のママが周囲の男たちを何とかあしらいながら生きているものの、あしらいきれずに「真冬のような厳しい試練」を受け、それでも健気に強く生きていこうとする物語。
 こんな過酷な環境下でさえ、ヒロインばかりにそれを求めるストーリーに、ああ、やっぱり日本の社会は「頑張る人間」、「(夜の世界でも?)貞淑な女」が好きなんだなあと思った。逆に言うと、頑張らない人間や享楽的な人間は好まれない。頑張らないと許されない。身体を壊すほど働いてやっと認められるような雰囲気が普通の世の中。「頑張っているね」は褒め言葉で、「頑張れ」は励ましの言葉と信じて疑わない価値観。私は社会に出てから「頑張る」という言葉が嫌いになった。生きる喜びを日々享受しながら人間的なテンポで無理せず暮らそうとすれば周囲から白い目で見られる。映画の中では当時夜11時には店を閉めていたが、現代ではおそらく店を閉めるのは翌日、深夜2時くらいだろう。今のママ―女たち―はもっと過酷な状況を生きているに違いない。  

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中国語

 1年も中国で暮らしながら、私は相変わらず中国語が全くわからない。情けないが、私には才能がないのだと思う。そのため何が何だかわからないまま日々暮らしているが、たとえ中国語がわかっても、ここではやっぱり何が何だかわからないまま暮らしているような気もする。
 中国は簡体字とはいえ漢字を使っているので、「筆談」が有効なことも多い。しかし、日本語と全く意味が異なる言葉も多い。例えば「湯」が中国語では「スープ」の意味であることはよく知られているが、以下の単語が中国では何を意味するかご存知だろうか?(中国語をご存知の方はスキップしてください。)
 1汽車 2手紙 3老婆 4経理 5牙 6大家 7告訴 8小心 9打算 

 これらは初歩の初歩で、似たような意味の単語でも微妙に意味がずれていたりするので侮れない。 
だが、私にとって最も大変なのは発音である。音自体が沢山あるし、四声というアクセントがあって手に負えない。そのため会話どころか、挨拶さえ満足にできないままである。「听不懂(わからない)」と言っても通じないので、わからないことさえわかってもらえない。それなのに、外を歩けば私に道を尋ねる人、店に入れば私に熱心に売り込みを人が後を絶たない。結局いつも相手をがっかりさせるばかりである。

 
(答え)1自動車 2ちり紙 3妻 4社長 5歯 6皆さん 7知らせる 8注意 9計画する

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JULI

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 友人に誘われて久しぶりにポップスターのコンサートに行った。「JULI」というグループで、友人によればドイツでは「私だって知っているくらい有名なバンド」だと言う。南京の聴衆はノリノリで、延々とアンコールが続き、夜が明けてしまうかと思ったくらいだった。面白いことにボーカルの女性は黒いカジュアルな服装で、しごくまとも(マジメ?)な格好だし、歌っている時の身体の動きも、躍動的だが、しごくまともなのである。「ドイツのグループはまともだよね。これがアメリカのグループだったら絶対もっと露出度の高い衣装で、もっと身をくねらせてセクシーな動きをするよ。」とは別の友人のコメントだが、私も同感である。健康的なドイツのバンドの音楽で楽しんだ南京の夜であった。

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雲南料理店

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 友人の夫の誕生日に雲南料理店へ行った。ここは私たちのお気に入りのレストランの一つで、最近できたばかり。いわゆる中華料理とは違う、独特の味付けの料理で、全体に甘くて辛い不思議な美味しさである。その夜は特別な夜だからと、私たちは特別な料理を注文した。写真中央、バラの花が添えられている一品、何だかわかるだろうか。
 はい、これは虫の素揚げである。小皿のスパイスをつけて食べる。黒っぽいのはトンボの胴体。白っぽいのは竹に棲んでいる何かの幼虫。え?味?淡白だけど、虫の味としかいいようがない味。白いほうが食べやすいけど、黒いほうが美味しいかな。機会があればお試しあれ。

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南京図書館

 友人が関係していたので、昨夜ドイツ・フェアに出かけた。南京図書館の前の広場はジーメンズなどのパビリオンがあって、すごい人出。その周りにはドイツフードの屋台が出て、久しぶりに美味しいソーセージとチーズを食べた。この写真は銀行・保険会社の高層ビルと南京図書館(右手の建物)。東南大学の学生の設計だそうだが、曲線と直線のバランスがいい建物だと思う。屋根の上にちょっぴり月が見えているのがわかるかな。今、南京は金木犀の香りで一杯で、乾いた秋の空気が心地よい。実に気持ちのいい晩だった。


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学生の作文

 今日は学生の作文を一つ紹介しよう。日本語も上手だし、日常生活の文化的な違いを具体的にとらえているので興味深い。一昔前のように、中国は日本と“一衣帯水”だとか、中日友好のためにとか、もはやそういう作文ばかりではない。もっと現実的で、もっと面白いことを書く学生が出てきている。未来に希望が持てる、と言ったらちょっと大げさかしら。

       誘い

 「せっかくですがその日はちょっと用事があって…すみません、また誘ってください」
 中国人の場合、上記の言い方は、中国人に疑いを起こさせる言い方になる。中国では本当に用事があるのだったら、「どこで、誰と、何をするのか、そしてそれがいつ終わる予定」ということまで具体的に説明する。「その日はちょっと用事があって・・・」と言うのは中国人にとって‘そんなぼんやりとした言い訳しかできないのは、きっと嘘に違いない’と思うのである。
 この例のように、日本では具体的なことを言わずにぼかす習慣がある。“一身上の都合”などは便利な言葉の代表的なものである。「ちょっと都合が悪いので」と言われれば相手もそれ以上追及しない。しかし、中国人はこのようなぼかしを信用しない。「本当に用事があるのだったら、きちんと説明できるはずだ」と考えるのである。
 日本人はよく、「すみません、その日はちょっと行けませんが、その内また誘って下さい」という言い方をする。この会話の文化の違い(落とし穴)を話したいと思う。
 例 自宅で開催されるパーティに中国人のKさんが日本人のEさんを誘ったとする。
Eさん 「せっかくですがその日はちょっと用事があって…すみません、また誘ってください」
Kさん 「 なんて虫の良い奴だ。人の誘いを断っておいて、次回もおごってくださいだなんて・・・」
 中国人の場合“おごる、おごられる”という習慣は当たり前である。むしろ“割り勘”は水くさい、と考える。中国では人が人をパーティや食事に誘う場合、それは招待する”ことを意味する。つまり、「おごります、ご馳走します」という意味なのである。この場合中国人の感覚では、日本人Eさんはこの誘いを断っておいて(キャンセルするがその権利は留保しておき)、さらに次回も誘ってください、という意味に聞こえる。中国式だと、おごったら、おごり返すのが常識なので、次に招待するのはEさんの番になるのである。
 中国人の模範的な断り方は、次のようになるのではないだろうか。
「来週、家でパーティをやるんだけれど、Eさんも来ない?」
「せっかくですが、その日は記念演奏会があるんですよ。応募者多数の中から抽選で当たった数少ないチケットで、前からずっと楽しみにしていたのです…ごめんなさい、次回は私が招待します」日本人はなかなかこの一言が言えない。ここに生活文化の違い、日中友好の壁、異文化の衝突を感じる。

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『愛のコリーダ』

昨夜6hの授業を終え、クタクタになって帰宅。くつろごうと思って、友人が貸してくれた日本のDVDを観たら、さらに疲れきってもうぐったり。その映画は『愛のコリーダ』(1976/大島渚)。疲れたけど観る価値はある映画だった。
 これは
1936年の阿部定事件を題材に男女の性愛を描いた作品。全編が露骨な性描写の連続で、男女の性器、接合部、性行為の様子がはっきり画面に映し出される。石田吉蔵と阿部定が出会い、ひたすら性行為を重ねながら、最後に定が吉蔵を絞め殺して性器を切り取るまでが描かれている。定の欲望をすべて受け入れ、全く拒まない吉蔵を描くことによって「やさしい男」を表現しようとしたのかもしれないが、どこかまだ男の視点だけで「定」がつくられているような印象を受けた。
 二人の性行為を見ると、吉蔵は定の欲望に引きずられるように挿入するだけである。女が執拗に男の肉体を享受しようとするシーンは多いが、男が女の肉体を探索しようとするシーンはみられない。首を絞められて意識が遠のくような表情を見せることはあっても、男が完全に女に陶酔しているような場面はない。「定」によって好色な男が性愛の泥沼に落ち、その果てに命も男の象徴も失うと言うコワーイ話の枠を超えていない。女を聖女/娼婦の二つに分類し、欲望の責任を娼婦にかぶせてお終いという単純な世界観に、「定」という非常に好色な女のイメージをそのまま利用したようなところがあるのは、日仏合作だからだろうか。定が吉蔵を殺して欲望を完結させるという結末のためにこのような描き方をしたのだとしても、定がほかならぬ吉蔵に異常なまでに溺れた要因がよく見えてこない。「性愛による快楽の追求の果ての殺人」というよりは、実際の事件でも定は「石田と別れたらもう会えないと思って殺した」のではなかったか。

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新疆

 国慶節の連休に、カシュガル・ウルムチ・トルファン・敦煌を旅した。前日まで忙しくて何も準備できないまま、直前にネットで買った航空券と古いガイドブックを手に、列車なら3日間かかる距離を3フライト乗り継いでカシュガルまで飛んだ。カシュガルは新疆ウィグル自治区の西のはずれにあり、町中、羊の香りで一杯である。日干し煉瓦で造られた旧市街を歩くとまるで中世の世界にタイムスリップしたかのようだった。カシュガルで民族楽器の音色に涙した後、ウルムチまで24時間の列車の旅。空から見るダイナミックな光景もよかったが、車窓の風景もすばらしい。ウルムチでは有名な“ローランの美女”のミイラを見学、トルファンでは多くの遺跡を回ってツゥヨク近くの村に泊まり砂漠を堪能した。

 
私の持っているガイドブックは5年前のもので、古いうえに情報量が少ないので、特に変化の激しい中国では役に立たない。夜行列車で敦煌駅に到着した朝、私はひどく驚いた。なぜかと言うとそこが本当の「敦煌」駅だったからだ。というのも、敦煌駅は実は柳園という敦煌の町からバスで2時間半離れた駅で足の便が悪いはずだった。おそらく最近(というのは駅はまだプレハブで隣に大きな駅舎を目下、建設中。)敦煌の町のすぐそばに「敦煌」駅ができて、一日10本の列車が発着するようになっていたのだ。敦煌の莫高窟はさすがにすばらしかった。私のように何の知識がない人でも、20元余計に払うと日本語を含む外国語のガイドが説明しながら案内してくれるので十分に楽しめる。以前に大同の雲崗石窟と洛陽の龍門石窟を見ているので、これで三大石窟はすべて見たことになる。

 
旅の最後は、天池という海抜1900メートル程のところにある、山に囲まれた湖のほとりでカザフ族のユルト(移動テント)に泊まり、ハイキングや乗馬を楽しんだ。今年は冬が早いそうで雪で覆われたところも多かったが、天気に恵まれて、小高い丘から見下ろす湖は実に美しかった。シルクロード情緒を満喫した上、素朴ながら美味しいものを沢山食べて日々満腹。あちらは実に果物が豊富で、ハミ瓜、林檎、葡萄、柘榴、無花果など、どれを食べても実に甘くて美味しい。ラグメン(拉面)とカバブの食べすぎで太って帰宅した。

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