南京感想文 Nanjing scribble

突然始まった南京の暮らしを気の向くままに紹介します。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

PageTop

江心洲

 江心洲へ行った。江心洲は揚子江(長江)の中洲島で細長い形をしている。地元のタウン誌によれば最初に住みついたのは1世紀ほど前に安徽省からやってきた貧しい人々で、現在は1万2千人の住民が暮らしているそうだが、ホントかな?と言う感じ。というのも、ここは南京中心部に近く、船着場からは渡し船で3分で着く距離なのに、人がとても少ないのだ。これは中国では本当に珍しいことで、こんな場所はめったにない。ここは昔ながらの農村で、メインストリートの両側に葡萄畑と野菜畑が広がっている。高いビルなど一つもなく、人も車も数えられるほどしか通らない。南京の街とは別世界で、時間の流れさえ違っている。江心洲へ着いてまず感じるのは空気がきれいなこと。静かなこと。ごてごてしたサインも照明もなく、空が広いこと。都会の喧騒から逃れるにはぴったりの場所だ。実際、貧しい芸術家たちが移り住み、小さなコニュニティを形成しつつあるという。

20071111201408.jpg

20071111201420.jpg


  ここには昔の農機具や風俗の類が保存されている施設がいくつかある。展示の中には過去の農村の様子を写したした写真もあり、その中に「知青」という言葉が出てきた時、一緒に行った中国人の友人が「知青」について話してくれた。「知青」とは「知識青年」の略。「知識青年が農村に赴き、貧しい農民から再教育を受けることは大変重要である」という毛沢東主席の言葉から、都市の中学生・高校生ぐらいの青年を農村に「下放」する政策がとられ、それは1950年代の中頃から始まり、文化大革命を経て1970年代の末頃まで続いたという。彼女の母親は「知青」として農村に送られ、多くの仲間が都市に戻れなくなってゆく中、軍人の夫に出会うまで独身を通し、当時としてはかなり遅い30歳で彼女を生んだと言う。もし彼女の母親が周囲の圧力に屈して農夫と結婚していれば、友人の運命は全く違ったものになっていたに違いない。1979年から「知青」の帰郷が始められたものの、全員がすぐに帰郷できたわけでなく、帰郷できぬまま不幸な人生を歩んだ人も多いという。のんびりとした農村風景も彼女の母親にとっては辛い思い出につながる。


スポンサーサイト

PageTop

コメント


管理者にだけ表示を許可する check if you want only pandacola to see your comment
 

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。