南京感想文 Nanjing scribble

突然始まった南京の暮らしを気の向くままに紹介します。

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『生きる』

『生きる』(1952年/監督・黒澤明)

 役所の市民課の課長が、胃がんで余命僅かなことを悟り、「木乃伊」のように生きてきた自分の人生を振り返って、行動を起こす物語。志村喬がもたもた、ぽつぽつ話すのでまだるっこしいが、ついつい引き込まれる作品。事なかれ主義、小役人根性、無責任たらいまわし体質、上下関係に対する異様な卑屈さなど、多くの日本人が抱えるメンタリティーを浮き彫りにし、さらに生活を共にしながらも本質的なコミュニケーションに欠ける、実は疎遠な日本の家族関係もあぶり出す。
 最後に主人公は「公園」を完成させ、幸福感(おそらくは生きる充実感)を得て死んでゆくが、もし「公園」プロジェクトが厚い官僚主義の現実の前に挫折し、完成させることができずに死を迎えることになったら、彼は果たして「命短し恋せよ乙女」と微笑みながら歌うことができただろうか。無念の気持ちを抱えて命尽きるか、あるいは全力を尽くしたと言う満足感を胸に息絶えるのか。
 彼の通夜の際、同僚、部下たちがとりとめもなく話す場面で、印象的な台詞があった。私も普段感じていたことで、50年たっても変わらないばかりか、現代はますます悪化しているみたい。それは「世間では汚職で大金がどうしたなどと騒いでいるが、実は日々意味のない無駄な(書類)仕事を「公僕」にさせ続け、もっと膨大な金と時間を無駄にしているのだ」と言う意味の台詞。OA化、コンピューター化が進んでも、不必要な書類は増え続ける一方で、空しい仕事に働く意欲をなくしてゆく暗い現状。うーむ、これじゃあ映画でも観て現実逃避でもするしかないじゃん。え?それじゃ、この映画を観た意味がないって??

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