南京感想文 Nanjing scribble

突然始まった南京の暮らしを気の向くままに紹介します。

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南京大虐殺記念館

 今日は侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館へ行き、虐殺被害者を哀悼する集会に参加した。今年は南京大虐殺70周年で、約8000人が記念館平和広場に集まったという。日本人も300人ほどいたというが正確な数はわからない。私の前はウガンダ人男性、右隣は仏教僧、左隣は九州の日中友好協会から来たという人、後ろは知人の日本語教師が並んでいた。午前10時サイレンが鳴り響き、哀悼と平和への祈念のスピーチがあり、鐘が撞かれ、無数の鳩の群れが上空を舞っていった。
 チャイナ・ネットによれば、「1937年12月13日から1938年1月までの6週間の間に、中国侵略の旧日本軍が中国の同胞30万人以上を殺害し、南京市の3分の1以上建物を焼き払った。1994年以後、毎年12月13日、南京市民は集会を開き、哀悼イベントを行い、全世界の平和を祈っている。」昨年は改修中で閉館していたが、今年、新たに発見された被害者の遺骨を展示した別館もあわせて新装開館した。
 館内はかなり広く、映像も多く使われ、中国語、英語、日本語の三言語で展示がある。展示を見学しながら、あまりにも酷い行為に胸が詰まった。私は以前、ポーランドのオシビエンチム(アウシュビッツ)を見学したことがある。第二アウシュビッツと呼ばれる強制収用所跡にそのまま残っているバラックの一つに入った途端、背筋がゾクゾクして、恐怖を感じたのを覚えている。残忍な歴史の跡には強烈な力があって、私のような凡庸な人間にも揺さぶりかけてくるものがある。拷問、惨殺、略奪、強姦、人体実験などの被害者を思うと、言葉をなくす。当時の被害者も加害者も高齢になり、証言が聞けるのもあとわずかだろう。悲惨な歴史が風化されてしまうのは怖い。

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陽山碑材/明文化、湯山猿人洞

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 陽山碑材(明文化)と湯山猿人洞へ行った。南京から25kmほど東にあり、公共バスを乗り継いで約1時間ほどかかる。陽山碑材は明時代の建築につかわれた石切り場で、山の中に巨大な石材が残っている。入り口には明時代の建築や風俗などが再現された民族村があり、そこでは獅子舞などの出し物を見せてくれる。
 一方、湯山猿人洞は小さな鍾乳洞で、猿人が暮らしていたことがあるらしいが、今はカラフルな照明の下、人形などが展示されているので、雰囲気は「テーマパーク風の近所の公園」とでも言った感じ。ベトナムでもそうだったが、なぜ洞窟をわざわざ色とりどりのライトで照らすのだろうか。キレイとも不気味とも言えず、特に石がくっきり見えるわけでもない。え?何でもにぎやかなほうがいいって?


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質疑応答

 「反思戦争、擁抱和平ー侵華日兵見証会」に行き、87歳の元日本兵が中国での自分の行為を証言するのを聞いた。彼は千葉の小作人の家に生まれ、20歳で陸軍に入る。中国へ渡り、上官に命令されるまま、農民の拷問、殺害、物品の略奪、家財放火、農民を対象にした毒ガス実験などを行ったという。敗戦後、シベリア抑留を経て、中国黒龍省の戦犯施設に引き渡されたが、そこで人道的な扱いを受け、自らの行為を考え直す機会を得る。死刑も覚悟していたが、「釈放」の判決を受け、1956年8月帰国したと言う。以後、中帰連に入り、戦争の加害証言活動を行っている。帰国時からずっと公安に監視されているそうだ。
 同行の「世界」の編集者によれば、若者に戦争の歴史が伝わらないのは三つの原因があり、それは教育・メディア・与党(自民党)だそうだ。彼は右翼の嫌がる天皇制、南京事件、従軍慰安婦問題、中帰連のうち、3つをカバーしているので、当然嫌がらせを受けているが、毛沢東の「敵に反対されるのはよいことだ」を引用して、嫌がらせを受けない活動なら反省しなければならないのだと言う。
 ところで、こういう会には「質疑応答」が付きものだが、どうして日本人の発言の場合、長くわかり難くしかも質問になっていないものが多いのだろうか?漠然とした自分の感想を並べてから、それに答えてくれと言う。質問になっておらず、通訳・進行者泣かせである。四方山話をしているようなもので、何が聞きたいのか要領を得ない。慣れた講演者は適当に関連のある話をしてつなげてくれるが、それはもちろん「応答」ではない。自分のことは棚に上げて言うが、質問するなら質問らしい発言を期待したい。難しい内容でもせめて質問は明確にしてほしい。え?日本人の考える「質疑応答」は質問をして答えてもらう場ではなく、感想を言い合う場だったの?

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玄武湖

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 玄武湖へ行った。西の玄武門から入り、城壁に沿って南下、解放門へ。そこで台城(明城垣史博物館)に入り、明の城壁の上を太平門へと歩いた。城壁に使われた接合剤の成分が未だにはっきりしていないという。九華山公園にちょっと寄り道。ここには玄奘寺がある。そこから湖に沿って北上。情侶園(花華公園)に寄り道。そこから湖を横断。翠州、梁州、環州、桜州、菱州と五つの島が橋でつながっていて、そこから玄武門あるいは解放門へ戻ることができる。これで湖の南側をぐるっと半周したことになる。天気のよい気持ちのいい日で合計五時間のウォーキングになった。


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閲江楼


 閲江楼へ行った。長江沿いの小高い丘の上にあり、ここからは長江だけでなく南京市街が一望できる。城壁や紫金山もよく見える。階段を上らなくてもエレベーターがあるので脚の弱い方も心配要らない。昔、中国には有名な4つの楼があった。黄鶴楼、岳陽楼、滕王閣、そして南京のこの閲江楼である。この建物は数年前に再建されたばかり。隣に天妃宮と静海寺があるが、こちらも新しくてありがたみが少ないのか、人が少ないのがいい。
 静海寺には鄭和に関する展示がある。彼はコロンブスやバスコ・ダ・ガマより1世紀も早く大航海を行った人物。1371年雲南地方に生まれたイスラム教徒で明の宦官。永楽帝に重用され、1405年第1回の南海遠征に出発した。彼の用いた「宝船」には壊血病の予防策まで講じてあったという。計7回の航海で、東南アジアばかりか、インド・中近東、アフリカまでその航海を広げ、イギリスの歴史学者ガビン・メンジース(Gavin Menzies)によれば、艦隊は第六回航海の1421年3月から1423年10月にかけて世界一周の航海を行い、艦隊の一部はアフリカ南端から北上してカリブ海沿岸、今のカリフォルニア沖などにまで達していることが分かったという。南京には彼を記念する公園等もある。

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