南京感想文 Nanjing scribble

突然始まった南京の暮らしを気の向くままに紹介します。

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『帰郷/VOLVER/浮花』


『帰郷/VOLVER/浮花』
   (2006年スペイン/監督 Pedro Almodovar ペドロ・アルモドバル)


 カラフルでファッショナブルな映像は、音楽と共にたまらなく魅力的。ペネロペ・クルスはもちろん美しいが、他の俳優もひとりひとりが実に個性的でチャーミングだ。特にアグスティナ(ブランカ・ポルティージョ)は印象的。ストーリーはシンプルだが、数多くの伏線が張られており、謎解きの形式で展開していくので引き込まれる。男の存在感が全くない映画。母と娘を中心とする女家族の関係が核。決して軽くはない内容だが、独特のユーモアと洒脱なセンスで、ユニークな作品に仕上がっている。テーマを分析するのも面白い。オススメの映画の一つ。是非ご覧あれ。


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『Water』


『Water』(2005年/監督 Deepa Mehta) 

 「未亡人」という言葉は、考えてみれば「まだ亡くならない人」という意味で、好きになれない言葉の一つだ。この映画はまさに「未亡人」たちの物語。インドの文化的なしきたりの中で、夫をなくした女性たちが「余生」を過ごす施設 Ashram が舞台。映画は8歳の少女Chuniyaが、髪を剃られ、質素な白いサリー一枚を着せられ、家族から一人離されて施設に入れられるところから始まる。作品は1938年のインドが舞台だが、幼年結婚という因習は今もまだ残っていると聞く。
 施設には様々な年代の「未亡人」たちが暮らしている。美しい未亡人Kalyaniは偶然ブラフマン出身の若者Narayanと出会い、惹かれあう。周囲の反対を押し切り、Narayanのもとへ向うKalyani。髪を短く切られ、戻ることのできない道を選んだ彼女だが、残酷な現実が待っていた。
 
 「文化や伝統を大切にする」と言う人の多くは、たいてい「変わらないように守る」という意味で話している。今ある文化や伝統が「完璧」であるかのような錯覚を持っているのだと感じる。私は「守る」ことに関心がない。変化しないものは「化石」になる。現在の姿が失われるのは当然で、今生きている人を幸福にしない「文化や伝統」は単なる「因習」にすぎない。時の流れの中で失われていくものには理由がある。その中には失いたくない美しいものもあるが、時の流れには逆らえない。新しい酒には新しい皮袋が必要な時もある。祖先の築いてきたものの上に現在の私たちの暮らしはあるが、「文化や伝統」に執着し、それに縛られるのは本末転倒だ。「文化や伝統」のために人が存在しているわけではない。「文化や伝統」はあくまで人が幸福になる知恵であり、道具にすぎない。その中にある意味や価値を問い直し、現在と未来の人々の幸福にあわせて取捨選択する知恵があっていい。

 この作品は映像も音楽も実に美しい。ストーリーは哀しいが、多くの「未亡人」たちの描写はそれぞれに印象深く、心打たれるものがある。オススメの映画のひとつ。是非ご覧あれ。

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『真珠の首飾りの少女』

『真珠の首飾りの少女/GIRL WITH A PEARL EARRING』(2003年イギリス)

 フェルメールの描く絵の世界の雰囲気をたっぷり味わえる映画。この絵をモチーフにした小説が原作のフィクション。フェルメール(コリン・ファース) の家でメイドとして働き始めたグリート(スカーレット・ヨハンソン)の物語。色や光-すなわち芸術-の世界を共有する二人は、現実には主人と使用人の関係を超えることはできない。互いの内側にある想いを言葉にするわけでもなく、絵画を通してつながる二人の姿。手を握るシーンさえない作品だが、ぼってりとしたスカーレット・ヨハンソンの濡れた唇や、真っ白な肌に美しい巻き毛を対照させて官能的な映像を作っている。抑えている情熱は二人の視線にあふれ、周囲の者にも簡単に悟られてしまうほどの深いものになってゆく。フェルメールの妻に激しく嫉妬され、彼の子どもに嫌がらせをされ、グリートは厳しい状況に追い込まれてゆくが、それでも絵の完成に協力することをやめない。真珠のピアスをつけるために耳たぶに針を突き刺すシーンは、二人の象徴的な情事だと言える。
 ところで、作品の中にカメラ・オブスキュラが出てくる。camera obscuraは文字通りには「暗い部屋」で、針穴写真機の原理を利用した外界を正確に写し取るための装置。その特徴は表象学の先生によると、1)外界の対象を直接目にすることなく、この対象の「表象」を通じて真実を探る→光を通じた外界の正確な表象をもたらす装置、2)この装置を利用するには、外界との直接的な遭遇を避け、閉ざされた空間内に自己を位置づけることが必要、で、これが当時の学問や知のあり方に対応するという。フェルメールが描いた天文学者は天体そのものではなく天球儀(天の表象)を研究し、地理学者は地球そのものではなく地図(地球の表象)を研究している。フェルメールは純粋に美を追求していただけかもしれないが、その作品には多くの「閉ざされた」ものが描かれているようだ。

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『トーク・トゥ・ハー』

 『トーク・トゥ・ハー/Hable con Ella/talk to Her』
   (2002年スペイン/監督 Pedro Almodovar ペドロ・アルモドバル)

 「先生、リディアはいつまであの状態に?」
 「数ヶ月。数年。一生。」
 「治る見込みは?」
 「医学的にはムリです。…しかし15年の昏睡から目覚めた症例が…出産で昏睡状態に陥って、リディアと同じ植物状態に。でもあらゆる見解を覆し、回復したのです。」
 「希望はあるんですね?」 
 「科学的にはムリでも、希望を持つのは自由です。」

 ピナ・バウシュの舞台から映画は始まる。スリップ姿のダンサーが目を閉じたまま動き回る。客席の二人の男、それが看護士ベニグノとライターのマルコ。彼らはここではまだ知り合っていない。4年間、昏睡状態のバレリーナ・アリシアを看護するベニグノ。マルコは女性闘牛士のリディアと恋人関係になるが、リディアが事故で昏睡状態に陥りアリシアと同じ施設に入るところから、二人の人生が交差する。「人生で最も充実した4年間だった。彼女の世話をして、彼女の好きだったことをする。」と目を細めるベニグノ。

 「話すんだ、そのことを。」
 「話しても通じないよ。」
 「なぜそう思うんだ?」
 「彼女の脳は破壊されている。」
 「女の脳は植物状態でも神秘的だ。注意深く見つめ、話しかけ、優しく接し、愛撫してあげること。大切な存在だと伝えてやるんだ。それが癒しさ。経験で学んだ。」

 この映画は俳優たちがすばらしく魅力的だ。若いLeonor Watling(Alicia)はそれなりにきれいだが、Rosario Flores(Lydia)の全く贅肉のない締まった身体にはほれぼれするし、それでいてマルコをみつめる視線の甘いこと。Geraldine Chaplin(Katerina)のしわくちゃの顔はきりっとしていて表情が明快、背筋がぴんとのびていてすがすがしい。Javier Camara(Benigno)の無邪気な子どものような表情、ひたむきさの表現の上手いこと。何度かDario Grandinetti(Marco)が涙を流すシーンが出てくるが、その姿がまたすごくいい。せつなさが滲み出ていてひきつけられる。それから、俳優ではないが、カエターノ・ヴェローゾ/Caetano Velosoの歌には心を揺さぶられる。言葉を失わせる美しさだ。彼の歌を聴くだけでもこの映画を観る価値がある。

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『BBC広島』 

 『BBC広島/Hiroshima 』(1995年)は淡々と作られている作品だが、原爆の落とされた経緯とその恐ろしさを端的に伝えている。ところどころにちりばめられた当時の映像が何とも言えない力強さで胸を打たれる。生存している関係者のインタビューはそれぞれの立場や経験を伝えていて興味深い。
 「戦争を知らない世代」の私は、戦争を身近に感じることがほとんどない。世界のどこかで行われている戦争をメディアのニュースで知るのみで、反戦運動に参加したこともないし、第二次世界大戦でさえその歴史をまともに勉強したこともない。だから戦争について語ることはないが、この作品を観ながら思ったことが一つある。それは日本人あるいは日本文化の中には、現実離れした精神主義があって、それは現在でも生き残っているのではないかと言うことだ。私の以前の上司は、慢性的なサービス残業の上昼休みも満足にとれないでいる部下たちに、「時間はつくるものだ」と言い放って現実的な問題解決には知らんぷりだった。他にもそんな同僚が沢山いて、私はまるで別の惑星にでも来たかのような気持ちがしたものだった。
 精神論で物事が解決するなら敗戦はなかっただろう。作品の中では広島に原爆が投下されても降伏を渋った陸軍大臣阿南惟幾が登場し、繰り返し強硬な精神論を振りかざす。ポツダム宣言受諾後「一死以テ大罪ヲ謝シ奉ル」と切腹をするが、この「罪」が何を意味しているか、日本人と日本人以外では解釈が異なるだろうと思った。
 ところで、この人をネットで検索したら2002年の北朝鮮亡命者が瀋陽の日本総領事館に駆け込んだ事件が引っかかった。事件の数時間前、駐中国大使が大使館の職員に対し、北朝鮮を脱出した住民の駆け込みは「不審者と見なして追い出せ」との趣旨の指示をしていたことが発覚した事件である。この、人権への配慮に欠けた指示を出した大使が、阿南惟幾の6男、阿南惟茂なのだとか。どこで何がつながっているかわからないもんだ

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